So-net無料ブログ作成
検索選択

katakuchi [path-art]

GAK_0018.jpg GAK_0027.jpg GAK_0030.jpg GAK_0039.jpg
弟子屈山椒で開催される作品展「片口とその周辺 うつわ展」に出品なさいます、旭川在住の工藤和彦氏にお話しを伺いました。
そもそも片口とは、一方にだけ注口(つぎぐち)のある鉢・銚子のこと。液体のものを他のものに移す役割のものでした。
現在は、料理の器としても使われています。
中にはお皿の様に浅い器もあり、そこにお刺身などを入れたり、様々な使われ方をするようになりました。
工藤氏はもともと片口に興味があり、様々な口のデザインを考えたそうです。
ある時、土鍋の持ち手の形状が面白いなと思い、それを逆さにしたら片口の口に見えたのです。
それから工藤氏のオリジナルの片口の型が出来上がったのです。
GAK_0030_2.jpg今から数年前に薪窯をつくりあげました。
陶芸の道に進んでから、何時かは薪窯を作りたいとずっと思われていたそうです。
薪窯は電気釜などとは違い、ひとつとして同じ作品ができません。
穴窯や登り窯も下から上へ、一方方向から焼けるのです。
ですから片面が非常に焼け、片面があまり焼けないというもの、それが景色と呼ばれ、その境目が日本人の心を揺さぶるのです。
わびさびの世界ですね。
本来の焼き物の面白さが発揮される部分です。
基本的には木で火を焚いて、粘土で作ったものを焼く。昔から変わらない方法です。
おそらく昔の人も今も焼けた感動は変わらないのでしょう。
ですから以前に比べると作品の幅も奥行きも広がったとおっしゃっていました。
気持ちの上でもだいぶ違うそうです。
そんな工藤氏の作品の他、富山の森つくし氏、以前お話しを伺いました岡山の恒枝直豆氏、多治見の加藤委氏、
滋賀の梶なゝ子氏、京都の今宵堂の作品が並びます。
(片口とその周辺 うつわ展は4/29〜5/6まで弟子屈 山椒で開催)


The world of Mother Goose [path-art]

1.jpg 2.jpg 3.jpg 4.jpg
可愛い〜優しい気持ちにさせてくれるパステルを描かれているのは斜里町在住の作家、松岡雪華氏。
以前は水彩画を描かれていたそうですが、画材の特徴がいまいちしっくりこなかったそう。
水彩画はすぐに乾いてしまいます。
また、油絵は逆になかなか乾いてくれません。
のんびりゆっくり描きたい、でも待つことができないとおっしゃる松岡氏にとってパステルがちょうど合っているそう。
結局独学で今のスタイルにたどり着いたそうです。
作品展でじっくりご覧いただきたいのは、色の使い方。
ほとんど単色で使うことがなく、色を混ぜて自身が出したい色を探していくそう。それが難しくもあり、面白いところとも。
マザーグースに出会ったのは、2013年に子供向けの英語教本の挿絵の仕事をしたことがきっかけ。
仕事を進める中で、著者の先生と編集者とご自身が同じ唄を読んでいても、描くイメージが違うことに気づいたのです。
挿絵画家として仕事をするということは、著者と編集者の意向にそって絵を描くこと。
本が出版された後も「私だったらこんな風に描くのに・・」という思いがあり、
それ以降マザーグースの世界を自分なりに表現しようと、現在ではライフワークになっているそうです。
マザーグースはイギリスやアメリカに古くから伝わる童謡の総称。残されている唄は数千にも及ぶと言われているそう。
今回の作品展では、マザーグースの唄の中から「お菓子」「お茶」「食べ物」などが出てくる唄を選び、お茶会をテーマに描かれています。
※尚、写真は松岡雪華氏からお借りしました。
(まつおかゆきかパステル画展は4/23まで中標津 東1条ギャラリーで開催中)

life is art [path-art]

IMG_7187.jpg IMG_7188.jpg IMG_7189.jpg IMG_7190.jpg IMG_7191.jpg
小学4年〜6年の担任の先生がとても面白く、この道に進むきっかけを作って下さった方だとか。
その先生はスポーツが得意で、ご自身で絵を教えるというよりは・・・
外に出かけてスケッチをしている画家の方に生徒さんの作品を見せたり、
古事記などを読んで、それを絵にさせたりなさったそう。その授業が面白く大学まで美大を選ぶことになったのです。
加藤直樹氏の専攻は鋳造。とても手間のかかる作業をする分野です。
公共のものとしては、生涯学習センターまなぼっと幣舞の2階の喫茶店のところに彼の作品があります。
現在は、釧路高専で美術を教えたり、ご自宅で絵を描いたり、お面を作っていらっしゃいます。
1月には仮面と抽象画の作品展もなさっていました。今回の写真がそうです。
絵の具を使って色をおくこと、仮面を作ることは彼にとっては同じこと。楽しくて面白いことなのです。
「面白いと感じることって、そこに大事なことがあると思うんですよ」
どの行為も楽しんでやっていることに意味があるのです。芸術は生活の中で意味のあることだとおっしゃいます。
確かに美という文字は羊に大きいという字が使われています。大きな羊は生活の中でとても大事なことを意味するのです。
美術とはそういうこと。
「生活の中で美術を身近なものとして考えてみると良いんです。」
アートと生活は切り離せないと。これからは生きて行くことがアートとして、生活していきたいと最後におっしゃっていました。
IMG_7192.jpg IMG_7194.jpg IMG_7195.jpg IMG_7196.jpg IMG_7197.jpg

one road [path-art]

1.jpg 2.jpg 3.jpg 4.jpg 5.jpg
オーストラリア所蔵のOne Road 現代アボリジニ・アートの世界が4月7日から釧路市立美術館で展開されます。
かつてそこに住んでいたアボリジニとその子孫であるアーティスト70名が、1850キロの道を6週間にわたって旅をしました。
今まで入植者の側からしか語られてこなかったキャニング牛追いルートの歴史をアボリジニ自らが辿り直す過程で描いたのです。
絵画を中心に、映像、写真、オブジェ等によって構成され、アートと人類学を架橋するダイナミックなプロジェクトの記録がそこには存在します。
アボリジニ・アートの魅力はその世界観。
抽象画のように見える作品は、文字をもたなかったアボリジニの人々にとって、祖先の精霊の旅や神話、自らの歴史を伝えたもの。
今回紹介されているのは、絵画を描くことで、故郷の物語を伝え直し、少数民族に光を当て、
新しく歴史を紡いだアボリジニ・アーティストたちの旅の記録なのです。
オーストラリア政府が進めてきた多文化・多民族共生の象徴でもある今回の企画。
このプロジェクトは、多文化・多民族国家オーストラリアが国家プロジェクトとして実現し、本国で22万人を動員したそうです。
日本では大阪・国立民俗学博物館を皮切りに巡回し、この度釧路での開催となりました。
4月8日(土)はオープニングシンポジウムが開催されます。
オーストラリア国立博物館キュレーターのマイケル・ピッカーリング氏、本展実行委員会委員長の池澤夏樹氏、
アートディレクターの北川フラム氏がそれぞれ講演や対談をなさいます。
また、4月22日(土)には、神戸大学大学院教授の窪田幸子氏、
北海道大学アイヌ・先住民研究センター准教授の丹菊逸治氏の講演や対談が行われます。
ただし、事前申し込みでの参加ですので、定員になり次第終了となっています。
お話しは、釧路での本企画の立案をなさいました藤田印刷社長、藤田卓也氏に伺いました。
(One Road 現代アボリジニ・アートの世界展は4/7〜5/7まで釧路市立美術館で開催)

What is it to live? [path-art]

IMG_7678.jpg根室のユルリ島で野生化した馬を2011年から追っています。
以前お電話でお話しを伺ったのですが、今回は根室で講演会が開催され、
終了した時点をお話しを伺うことができました。
根室市昆布盛の近海ではかつて昆布漁が盛んでした。戦後、本土に昆布の干場を持たなかった漁師等が沖合にあるユルリ島を昆布の干場として利用したのです。1951年頃、断崖の上に昆布を引き上げる労力として、馬が運び込まれました。その後エンジン付きの船が登場。馬の役割は大きく変わります。
知人の編集者の方がユルリ島の話しをしたのがきっかけでこの島のことを調査しました。
彼は「いなくなることを前提に記録しないことの意味が僕にはわからなかった」と。
文化とかを残すことはとても大事なことだと考えています。
「僕が残すことって、他に人にできないこともできるかもしれないのかなと思ったのです。」
去年6月には5頭を確認したのですが、その中の1頭が具外が悪いという話しをお聞きになり、それが生きていてくれたら・・・と。
動物写真家でもないのに、どうしてこんなにユルリ島にのめり込んでいるのかご自身でもわからないとおっしゃいます。
馬を見ているとか、馬が好きだという視点とは少し違います。生きている姿を見たり、死んでいく姿を見たりして自身が学んでいる気がすると。
ものごとの判断の仕方、感じ方、自分が当たり前だと思っていたことが、本当にそうなのかとか
そういったことを問われている感じがするとおっしゃっていました。
「そこに自分が向き合っていることが僕にとって大切だと思っています。」
20代は人間と向き合うということで被写体が人間。
30代は自然と向き合うということで被写体は自然。
でも人と向き合っている時もユルリ島で向き合っている時も結局同じことをしていると思うと。
被写体が変わっただけで向き合おうとしているいるものは同じということ。
それは「生命」そのものと私は感じました。
okada01.jpg okada02.jpg
作品から伝えたいものをお聞きしました。
「自分が何かを知りたくて、それを手探りしながら進んでいく感じです。結果的にそれを見た人がどう思うかは想定していない。
何かを伝えるために作ると、それは芸術ではなくなる気がするんです。」
今は、ご自身が信じているものを作られていますが、それが結果的に根室にとって良いものとして存在するようになったら良いと思っています。
でも、それはなかなか理解してもらえないこと。ですから、時々わかりやすい形でテレビやCMにも出演なさってもいます。
「この馬たちがいなくなるまで撮影したいと思っています。僕の撮りたかったユルリ島は馬がいなくなった時に終わってしまうのかなと思います。」
それくらい彼にとっては馬の存在は大きいということ。
馬を通して生命、命を見ている岡田氏、以前にお話しを伺ってから一貫したものを感じました。
これはおそらく一生続いていくものだと思います。それこそ彼が言う被写体が変わるだけで根底は変わらないのでしょう。
人間の根源、生きることの意味、自分とは何なのかということは。
okada03.jpg okada04.jpg
※尚、写真は岡田敦氏からお借りしました。

toshiaki & reo [path-art]

北海道教育大学美術研究室の富田俊明氏が、苫小牧で作家として、NPO法人樽前arty+の代表として活躍中の藤沢レオ氏を非常勤として招き、
集中講義を行いました。そのことを含め富田氏と藤沢氏に色々と語っていただきました。
IMG_7470.jpg tomita「僕が信頼しているのは、作家の実力だけではなく、その奥にある純粋さ、アートに対するピュアな姿勢とか、そういう質を持っている人。本当に少ないんです。レオ君はそのうちのひとりだと思う。学生たちは、金属とか技術の出会いだけではなく、レオ君との出会いもあり、この人を信頼できるとか、この人と一緒にやりたいとか、そんな感じを受け取ったと思う。授業をみていて感じましたね。」
レオ氏にとっての初めての体験。非常に緊張なさったそうです。
tomita「クライアントに工芸家、デザイナーとして関わってプレゼンをなさっているので、慣れていると思っていたのですが・・・。逆にいうとそこまで真剣に考えてくれていたのかなと思います。」
fujisawa「ワークショップとか短期で関わる場合 、ひょっとしたら、その人の人生に僕の言動が介入するかもしれないという緊張感です。そこは丁寧に伝えたい。僕が思っていることを素直に伝えたいと思いまいsた。ターゲットが見えないのでいつも緊張するんです。だから準備ができて満足ということがギリギリまでおこらない。こういうことは伝えようと素材だけは詰めて持ってきています。それを組み替える作業が朝までかかったって感じでしょうか」
レオ氏が学生たちに伝えたかったこととは・・・
fujisawa「ひとつの分野で終始したくなかった。分野も分野として伝えたくないというか、今回は工芸だったので、工芸を通してどうやって僕が社会を見ているのか、美術を見ているか、人を見ているか、自分を見ているか、ひとつの構成要素として工芸がありますということは伝えたかったんです。それを通して世界の見方を自分なりにもってほしいなということがありました。」
IMG_7469.jpgtomita「伝わったと思いますね。レオ君の僕が良いところだと思うのは、もちろん作家としての真摯な姿勢もあるけれど、工芸家として色々なクライアントと一緒に問題解決、クライアントの希望している主に商業的な目標に解決を与えるところ・・・作家だと自分の思想を主体的に表現するというのがあり、そこがやっぱりみんなが気後れするところだと思う。そこをまたがって仕事をしているんですねレオ君は。
学生にとってはそういう姿勢もあるんだ。自分が主体的に世界観を表現しなくても、良いんだみたいな、他者の問題意識を受け取って、それを創造的にビジュアル的にどうやって解決するのかみたいな、今まで思いもよらなかった芸術の社会の中での在り方を感じることができたと思うんです。それを体現している人レオ君に来てもらって良かった。芸術家芸術家しなくても、アートとデザイン、アートとクラフトというもっと広い意識の中で自分のやれることってもっとあるんだと気付いたはず。」

自分の作品を作るのと、クライアントに対して何かを作るって全く違うことだと思います。
自分の中での切り替えスイッチは?
fujisawa「今はないです。昔はそれにとっても苦労したんです。今日は工芸の自分、明日は美術の自分みたいな、その切り替えがうまくいかなくて、くたびれたんです。一時期1年位引きこもったんですよ。その切り替えスイッチが壊れちゃって。」
何かがあってそこから抜け出したのでしょうか?
fujisawa「スイッチもういらないやって思ったんです。結局自分は一人なんだから、スイッチなんて関係ないやって。」
tomita「作家になるんだったら夢中になるだけで良いけど、教育者になるんだったら、教育だけではダメなんです。自分が夢中になれるという体験がないと、子供が夢中になった時にそれを理解できない。そういう意味では両方の領域がわかっている、ふたつ以上の領域を移動できるのは重要だと思います。レオ君は学校の先生ではないけれど、自分が主体になる、或いは他者の主体的な問題を寄り添って解決するのは近いかなと」
tomita「見せたいのは私じゃないんですよね。その先にある突き抜けた世界。そこが教育できるかどうか、今回の集中講義でもレオ君の凄さを皆にねじ込んだというのではなく、この先に皆が自分を解放できる道筋があるんだよということを見せてくれたと思います。究極芸術ってそういうものだと思うんです。個々が自立して創造的なプロセスを通して自分を解放できる、そこしかないと思っているので。」
fujisawa「言葉にするって僕はすごく難しい作業で、感覚的にやっていることって沢山あるんです。それを人に伝えるとか、それをまた自分の作品としてフィードバックするということは重要な行為だと思っています。それを富田さんは真摯にその言葉に向き合っている。彼と話しながらそういう言葉から勉強することが沢山あります。同じ目線、アートとかアーティストの会話ができるという人が僕もものすごく少ないので、その中の一人です。そのくらいアートって面白いけれど難しい作業だと思うのです。難しいことを難しく捉えるアーティストって少ないと思う。それを簡単に編集してしまうアーティストは今沢山いますけどね。」
IMG_7471.jpg

ではアートとは?
fujisawa「社会は複雑化していく。今、社会の流れとしてはそれ自体・言葉も含め単純化していく方向にあると思うんです。複雑なものを複雑なものとして捉え、その中で問題意識とそれに必要な分野を横断して考えるというのが今のアートの行為かなと思います。」
tomita「皆アートって贅沢品で人生の必要事項を満たした最後におまけとしてついてくるものというイメージがあると思う。でもそれは、むしろ最初にくるものだと思います。人生を生きて死ぬ前に「あぁこの人生、生きてきて良かった」という究極の問いかけに答えていく・・・大手を振ってそれをできるジャンルがアートだと思いますね。アートを言い訳にして堂々と誰もが急いで答えなくても良いことを真剣に取り組めるツール。その人が生まれてきて自分とはこれであるということを表現していく、それが僕は人生だと思っているけれど。それをするのがアートかな。それは、芸術の問題にとどまらず、人間としてのポテンシャル、素質を最高に発揮する場所でもあると思います。」

influence [path-art]

1.jpg 2.jpg 3.jpg 4.jpg 5.jpg 6.jpg
以前、path-artにもご出演いただいています藤澤フジ子さん。
お孫さんが3歳の時に、一緒に描いた絵がきっかけでこの道に入りました。100円ショップで買った画用紙とペンで描いた作品は今みてもとても斬新。
その作品をみたご主人が 絵を描いてみたら?と勧めてくれたことで、現在のフジ子さんがいらっしゃるのです。
ペン画を描き、その後切り絵も作成。その切り絵も色紙はご自身で色を作り、ハサミで切ってから使うというもの。ものすごく労力と時間がかかります。
さらにステンドグラスの作品も多数作られ、喫茶店などで作品展も数多くなさっています。

フジ子さんの作品を北海道教育大学釧路校の富田先生にプレゼントされ、その作品を学生さんがご覧になり、もっと他の作品もみてみたいということで、今回フジ子さんが100点近くの作品を持って大学へ。

フジ子さんの説明を聞きながら作品をひとつひとつじっくり眺める学生たち。
フジ子さんもお話しがとまりません・・・・・・
2年生と1年生、そしてロシアからの留学生の方も参加なさいました。
一通り 説明が終わった後で、学生さんたちからの感想を伺ってみました。
「とてもパワフルで、どこからともなく元気がみなぎってくる」「パワーを感じた。フジ子さんの様に力強い絵を描きたい」
「色の使い方がどの作品もエネルギッシュ、画材と紙の相性も考えて作品を作られているので作品の印象がそれぞれ違って見える」
「描くものが独特でどうやってこの様なデザインを思いつくのか不思議でたまらない」などなど・・・。

最後に一緒に描いてみたいね・・というお話しがでていましたが、実際に2月にフジ子さんが下絵を描いて、皆で色をつけるという事が実現しました。
伺った当日は完成はしていなかったのですが、いつの日かフジ子さんと学生さんとの共同制作の作品が完成することを楽しみに待ちたいと思いました。
7.jpg 8.jpg 9.jpg 10.jpg 11.jpg IMG_7218.jpg

prayer [path-art]

IMG_7438.jpg IMG_7439.jpg IMG_7440.jpg IMG_7441.jpg IMG_7442.jpg IMG_7443.jpg
米坂ヒデノリ氏は釧路出身。北海道を代表する彫刻家です。昨年2016年の4月に逝去され、その追悼展を開催しています。
そもそも粘土で形を拵えていく塑像彫刻をなさっていました。大学卒業後、釧路に戻りましたが、材料が手に入らず木彫に転向します。
それ以来、主に木彫を中心に制作活動をなさいました。さらにロウ型鋳造によるブロンズも制作なさっています。
晩年にはオーケストラの大作「ミュージアム(頌韻)」を制作。弦楽器、管楽器、指揮者など全パート、約80体をひとつひとつ作りあげました。
彼のテーマは、故郷を離れ、はるばるこの地へやってきたものの夢破れて地に還った開拓者たちへの共感、
同じような境遇にあった自分の祖父母への鎮魂、自分自身もその末裔であり、故郷を持たない漂泊者・流れ者と自称なさっています。
その様な人々への祈りがシンプルな形態の中に表現されています。
決してリアルな彫刻ではありません。中には抽象と思う様な作品もあります。
シンプルだからこそ、見るもののイマジネーションをかきたてるのです。
その中に込められた想いを痛いほどに感じる方もいらっしゃると思います。
彼が高校時代に描かれた油彩から晩年の作品まで、幅広い制作活動を垣間見ることのできる展示になっています。
そこの空間から感じられる静かなる心の動き。
鑑賞するものの心の在り方によって違って見える・・不思議な作品がそこにはあるのです。
IMG_7444.jpg IMG_7445.jpg IMG_7446.jpg IMG_7447.jpg IMG_7448.jpg
(漂白・祈り・鎮魂ー米坂ヒデノリ追悼展は4/19まで北海道立釧路芸術館で開催中)

stare at the light [path-art]

IMG_7429.jpg IMG_7430.jpg IMG_7431.jpg IMG_7432.jpg
今あらためて光をテーマに切り込んだ収蔵展です。
絵画や写真において、光はその明暗の対比から、奥行きや立体感、質感を表すものです。
今回は3つのコーナーに分かれて紹介されています。
1つは大自然が舞台。あらゆる自然現象の根源でもある太陽の光。
これは人知を超えた壮大な自然を彩り、刻々と変化しとどまることはありません。
また、夜空に輝く月や星は悠久のロマンを感じさせてくれます。
そして、1つは日常の光。光がかもす詩情。
私たちの身近な風景や都市の景観、生活の場面に光は様々な表情をもたらします。
また、明暗の対比によって生み出される光の微妙なニュアンスから豊かな詩情がかもし出されています。
最後は、神は細部に宿る。光があかす真相。
普段は見過ごされがちな細部も光をあてることによって際立ってきます。
そのような細部に自然の神秘や社会の真実を垣間見ることができる・・・そんな作品群です。
IMG_7433.jpg IMG_7434.jpg IMG_7435.jpg IMG_7436.jpg IMG_7437.jpg
(絵画と写真〜光をみつめて〜は4/19まで北海道立釧路芸術館で開催中)

kushiro [path-art]

IMG_7452.jpg IMG_7454.jpg IMG_7455.jpg IMG_7456.jpg
ずばり釧路の風景が展示室を埋め尽くしています。
かつての幣舞橋周辺が多くの漁船と人々で溢れかえっている様子や
そこに生きる、生活する人々の姿、
そして変わらぬ自然を描いたものが混在する空間。
釧路を代表する幣舞橋・釧路川・湿原・海、これらの雄大な風景は、多くの作家たちの憧れを集め、作品として残されてきました。
時代とともにかわる風景、変わらない風景をそれぞれの作家がどのように描き出したのか・・・
表現の方法は作家の個性とともに各作品にあらわれています。
また、その作品の横には実際の当時の記録写真が展示されています。
懐かしいと感じる方もいらっしゃるでしょう。これが釧路?と思われる方もいらっしゃると思います。
それぞれの釧路のイメージを感じ取ることができる展覧会です。
作品を通してあらためて釧路を見つめ直すことができる・・・そんな展示になっています。
IMG_7457.jpg IMG_7458.jpg IMG_7459.jpg IMG_7460.jpg IMG_7462.jpg
(描かれた釧路の風景は3/26まで釧路市立美術館で開催中)