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What is it to live? [path-art]

IMG_7678.jpg根室のユルリ島で野生化した馬を2011年から追っています。
以前お電話でお話しを伺ったのですが、今回は根室で講演会が開催され、
終了した時点をお話しを伺うことができました。
根室市昆布盛の近海ではかつて昆布漁が盛んでした。戦後、本土に昆布の干場を持たなかった漁師等が沖合にあるユルリ島を昆布の干場として利用したのです。1951年頃、断崖の上に昆布を引き上げる労力として、馬が運び込まれました。その後エンジン付きの船が登場。馬の役割は大きく変わります。
知人の編集者の方がユルリ島の話しをしたのがきっかけでこの島のことを調査しました。
彼は「いなくなることを前提に記録しないことの意味が僕にはわからなかった」と。
文化とかを残すことはとても大事なことだと考えています。
「僕が残すことって、他に人にできないこともできるかもしれないのかなと思ったのです。」
去年6月には5頭を確認したのですが、その中の1頭が具外が悪いという話しをお聞きになり、それが生きていてくれたら・・・と。
動物写真家でもないのに、どうしてこんなにユルリ島にのめり込んでいるのかご自身でもわからないとおっしゃいます。
馬を見ているとか、馬が好きだという視点とは少し違います。生きている姿を見たり、死んでいく姿を見たりして自身が学んでいる気がすると。
ものごとの判断の仕方、感じ方、自分が当たり前だと思っていたことが、本当にそうなのかとか
そういったことを問われている感じがするとおっしゃっていました。
「そこに自分が向き合っていることが僕にとって大切だと思っています。」
20代は人間と向き合うということで被写体が人間。
30代は自然と向き合うということで被写体は自然。
でも人と向き合っている時もユルリ島で向き合っている時も結局同じことをしていると思うと。
被写体が変わっただけで向き合おうとしているいるものは同じということ。
それは「生命」そのものと私は感じました。
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作品から伝えたいものをお聞きしました。
「自分が何かを知りたくて、それを手探りしながら進んでいく感じです。結果的にそれを見た人がどう思うかは想定していない。
何かを伝えるために作ると、それは芸術ではなくなる気がするんです。」
今は、ご自身が信じているものを作られていますが、それが結果的に根室にとって良いものとして存在するようになったら良いと思っています。
でも、それはなかなか理解してもらえないこと。ですから、時々わかりやすい形でテレビやCMにも出演なさってもいます。
「この馬たちがいなくなるまで撮影したいと思っています。僕の撮りたかったユルリ島は馬がいなくなった時に終わってしまうのかなと思います。」
それくらい彼にとっては馬の存在は大きいということ。
馬を通して生命、命を見ている岡田氏、以前にお話しを伺ってから一貫したものを感じました。
これはおそらく一生続いていくものだと思います。それこそ彼が言う被写体が変わるだけで根底は変わらないのでしょう。
人間の根源、生きることの意味、自分とは何なのかということは。
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※尚、写真は岡田敦氏からお借りしました。

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